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宇部 長生炭鉱



波間に墓標並び、天をゆるがし恨の声きこゆ


 今朝思い立って、山口県宇部市の長生炭鉱へバイクを走らせました。この光景に信仰心の薄い私も手を合わせてしまいました。
 地底に眠る183の御霊のさけびにこたえて私は何をなすべきか考えました。

 山口県宇部市の常盤公園から遠くない海岸線をしばらく走っていると、堤防のむこうの海のなかに2本の煙突が見えてきます。これが、戦前この地にあった宇部炭鉱のひとつ長生炭鉱の海中換気口です。長生炭鉱は海岸近くの坑口から海底へ3000メートル近く掘り進んでいました。その海底坑道の1000メートル沖合のところで坑内に海水が入り込む事故が起こったのが1942年の2月のことでした。戦争が始まったばかりで、この1832人をのみこんだ事故のことは世の中には知らされることがありませんでした。しかも、ほとんどが朝鮮半島出身の労働者で、遺体も一体も回収されることなく今日まで放置し続けています。この事故以後この炭鉱は閉山されました。
 この炭鉱の石炭層の周りは頁岩とう堆積層で、水分を含むと崩壊しやすいうえに、坑内から船のエンジンの音が聞こえるほど浅いところを掘っていました。付近の人は危ないことを知っていて、坑内の労働者は朝鮮人と他県から働きにきていた人がほとんどだったそうです。朝鮮人鉱夫が多いことから「ちょうせんたんこう」とこの付近ではいわれていたそうです。軍とのふかい関わりのなかで掘られた炭鉱故にこのような悲劇的な結末があったのかもしれません。

 最近では毎年2月に韓国からたくさんこられて慰霊祭も行われています。

 私がこの換気口(ピーヤと呼ばれていたそうです)のある海岸に到着したとき、堤防の海岸へ降りる切り口の所に老人がじっと海をみていました。すぐ近くの黒崎という海岸線に石炭の露頭がみえる岬に住んでおられる方でした。
 しばらくこの換気口のことについてお話を伺うことができました。その方は落盤事故のおこる1年前に幼年兵に志願し、光の砲兵工厰で終戦まで働いていたそうです。戦争が終わり「お前たちかえっていいぞ」といわれて故郷に帰ってきたときにはもう炭鉱は閉山されていたそうです。
 光では人間魚雷を製造していて、戦争が終わらなければ次に自分が出撃することになっていたといわれていました。また、中国から帰ってきた下士官たちがいつも中国での残虐な行為を自慢して「根性をたたきなおしてやる」と若い兵士をおどしていたといいます。南京虐殺はなかったとか勝手に「科学」する人たちはなんと反論出来るのでしょうか。
 別れ際にその方は「もう絶対戦争をしたらいけん」といわれていました。


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