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高校卒業のときの思い出を探してきました

 以前にも書いたことがありますが、家の改築の時に過去の写真ほとんどすべてを失いました。間違って捨ててしまったんです。
 15年以上さかのぼる写真は、ほかのところに保存されていた幼年時代の一枚と学生時代に友人から撮影してもらった写真2枚だけ。

 最近どういうきっかけか忘れましたが、高校を卒業する時に、学校新聞「○×タイムス」に新聞部の友人に頼まれて記事を書いたことを思い出しました。もしかしたら、母校には残されているかもしれないと思いました、昨日電話をいたしましたら、あるとのことで今朝さっそくコピーをいただいてまいりました。

 「小さな高校生活」と題して掲載されていました。今読んでみると、恥ずかしいものがありますが、当時の団塊の世代の苦悩があらわれているなあと他人ごとのように読んでしまいました。

 当時の私は、原因不明の皮膚病に苦しめられて、受験に集中することができなくて読書に逃げる生活をしていました。進学も半ばどうでもいいやという気分で受験して、合格発表の日に担任の教師が我が家に電話してきて、わずか1点違いで不合格になったことを知らさてくれました。

 この灰色の気持ちが、あのダイオキシンを含んだカネミライスオイルの影響かもしれないと知ったのはそれから数年後のことでした。

 しかし、このとき書かれたことは、書いてある通り私の今までの半生の行動原理に影響を与えたことは確かなようです。


小さな高校生活

 過去を回想するとき、それを我々は理想化しがちであるが、僕はここでは(高校を卒業するに当たっては)そうしたくない。
 僕の高校生活は灰色であった。その灰色のなかにも、鮮やかに色彩を保ち続けている経験も確かにある。しかもそれが僕に強い印象を与えた。だがすべてがバラ色に染まっていたわけではない。
 灰色の原因はよくいわれるような受験そのものではないように思う。それは若人のもつ特質ではないだろうか。
 社会の圧迫感や若者の苦悩はいつの世にもつきまとうものだ。疾風怒濤という言葉がある。ゲーテなんかもその灰色の海を脱して初めて、あの偉大な作品を得たのではないか。バラ色の人生は一人の宗教的奇人を生むだろうが、偉大な芸術家や人生の達人をうまないのだ。
 僕は読書を通じて、苦悩と挫折の連続がいかに役たつものかを知った。苦悩に比例して作品との会話は深まった。苦しい経験が作品の中で作用した。これが読書なんだと感じた。
 二年までは苦悩に抵抗するだけであった。自分の内に矛盾を感じ、挫折感だけが残った。しかし受験という環境が僕に灰色の海へ意識的に飛び込むことを教えた。その苦しみは、周期の短い挫折感を何度となく与えた。自分の弱さを知った。経験が複雑に作用して、頭の中をますます灰色にしていった。あるおぼろげな観念が頭に出来上がっていった。人生全体を支配する可能性を持った観念である。
 しかし、諸君にこの生活を勧めるつもりはない。結局失うものも多かったはずだから。ただ、ここに小さな高校生活があったということを言いたかった。
 また先生方へも多くのご迷惑をかけたことに対し、感謝の気持ちを忘れられない。

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