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「劔岳 点の記」みてきました

 シニア料金利用第二弾で封切り中の「劔岳 点の記」をみてきました。山岳作家、新田次郎の同名の作品を映画化したものだ。
 劔岳といえば、2月に長野に旅行した際に、神通川沿いに岐阜から富山へ抜けた平野からのぞむことのできた白い稜線のなかにある山のようだ。私が訪れた白馬村のちょうど西側にあたる山だ。
 劔岳についてウィキペディアでは次のように書かれている
弘法大師が草鞋千足を費やしても登頂できなかったという伝説がある。
記録に残っている剱岳への初登頂は、1907年7月の陸軍参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎らによるものである。7月13日、測量隊の測夫・生田信らが長治郎雪渓ルートから本峰の登頂に成功し続く7月28日に柴崎らが登頂を達成している。生田らによる最初の登頂の際、錆び付いた鉄剣と銅製の錫杖が発見された。古い焚き火跡もあったという。これらの遺物は奈良時代後半から平安時代初期にかけて登頂した修験者のものと考えられている。立山修験の貴重な証しとして重要文化財に指定され、立山町芦峅寺の立山博物館に展示されている[8]。なお一般登山者による登頂は1909年7月24日に石崎光瑤、河合良成、吉田孫四郎、野村義重によってなされている。
剱岳の山頂には長らく三角点が設置されておらず、標高を低い精度でしか測量できなかった。柴崎らは山頂には立ったものの岩場の険しさから重い三角点標石を運び上げることができず三等三角点の設置を断念し、標石のない四等三角点とした。そのため、三角点の設置場所を記載する「点の記」は作成されなかった。柴崎らは周辺の山からの観測によって山頂の独立標高点(現在の「標高点」)を2998mと計算したが、その後の測量により3003mとされた時期もあった。2004年になってようやく三等三角点が設置され、GPS測量により三等三角点「剱岳」の標高2997.07mと剱岳の最高標高2999m(2998.6mを四捨五入)が求められた。この折に国土地理院により作成された三等三角点「剱岳」点の記には選点日時として「明治40年7月13日」の日付が、選点者として柴崎の名が記載されている。


 そういえば数年前にテレビのドキュメンタリーで無念にも残された三等三角点の標石を設置するというのが放送されていた。

 私は本格的な登山には無縁だが、九州の近くの山を歩くのは好きだ。憧れの標高2000mをこえる雪山をみるのは、長野に行ったときに望んだ戸隠山や、新穂高のロープウェーで上ったときが初めてだった。そのときみた山々が映画の中に出てくるから、親近感もわき、映画をさらに興味深くみることができた。
 映画はハリウッドのようにCGやトリックを使わずに実際に山の上で極寒のなかを撮影したそうだから、迫力がある。

 私自身の新しい旅立ちのときに、映画の主題だけでなく、若い頃何度も何度もレコードがすりきれるほど聞いていたビバルディーの四季の冬のテーマが背景に心を揺すぶるように流れて、引き込まれるようにみてしまった。一見の価値ありです。皆さんもみてください。


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