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子どもの学力について考えたこと

 先日小学校の教師をしている友人と近頃の学校のことを話した。彼は「やめたい、やめたい」と連発した。このままではいうことを聞こうとしない子どもに暴力をふるって、こどもを傷つけてしまうばかりか、自分の家族や自分の人生をも棒に振ることになりかねないと心配しての言葉だった。
 話を聞くと、数年前と比較してもいま子どもたちが病的なまでに落ち着きがなく、授業が成立しないこともたびたびだそうだ。生徒に背を向けて板書していると、すぐに席を立って教室の中をうろつきまわる子どもがいるのだそうだ。しかっても、教師の言うことがわかったのかどうかもわからず、しかり方によっては翌日保護者から抗議の電話がくることもあるという。
 子どもたちの状況を聞くと、どう見ても私たちが経験してきた普通のレベルではなく、病的なレベルに達してしまっているようだ。いわゆる「多動性障害」といわれる病気だろうか。

 もう10年も前になる頃、市内の幼稚園の園長先生と話したことがある。その園長先生によると、「もう日本はだめですよ。子どもたちを見ればわかります」といわれていた。そのときは、「幼稚園の先生がそんなことを言われたらおしまいだなあ」と笑いながらいったんですが、どうもその状態がますますひどくなってきているだろう。

 そういえば、私の周りだけでも、教育の限界を感じて途中で教師を辞めた人も何人かいる。精神科に通っている人も、入院したという人もいる。学校が異常なストレス社会になっていることは間違いない。

 いつからそうなったのだろうか。私の周りには母を含め教師が多いので少しは昔の事情も知っているが、私が子どものころに問題がなかったわけではないだろうが、こんなことは少なくともなかったと思う。

 ある人は日教組が原因だという。またある人は、管理教育に問題があるという。またある人は、家庭教育がなっていないからだという。またある人は、教員の資質が低下したからだという。評論家の桜井よしこは、日本国憲法が悪いからだと最近テレビでまったく説得力のないことを言っていた。日本国憲法はまだそんなに荒れていなかった我々の子供の時からあったし、もしそれが悪いのなら、戦争前の報国の教育のほうがよかったとでもいうのだろうか。

 それぞれの立場で、それぞれの利害に基づいていろいろな人が教育を語っているが、なんだか子どもの実相がみえてこない。教員の資質が低下したという声は、いまに始まったことではない。「でもしか先生」などと、私たちの時代にも揶揄されたものだ。

 わたしは、私たち大人が、子どもに何を伝えていこうとしているかだと思う。学力も大切だと思う。思いやりも大切だと思う。統制に従う能力を身につけることも必要な時もあるかもしれない。しかし、一番大切なのは、子ども自身がそれを身につけるように環境を整え、援助することだと思う。そうでなければ、ただのあのおもしろくない「道徳教育」の押し付けにすぎないのではないだろか。

 私の叔父は戦前教師だった。「北方性教育」に傾倒して、子どもたちに作文教育「綴り方」をやっていた。しかしながら、それを軍国主義は治安維持法の元につぶしてしまった。そして、多くの若い命が戦争で失われていった。私はいまでもその教育が一番大切だと思う。本を読み、文章を書くことが子どもたちが自分自身で生きていく能力を身につける基礎だと思う。

 私の経験では、数学的な考え方は、数学のドリルというより読書によってきたえられたような気がする。科学的な考え方も、論理的な考え方も、本をよみ、物を書くことで鍛えられたような気がする。コンピューターのプログラムにしても、これを使う人がどんな思いをするか、どんなことにぶつかるのかを想像できなければ、ただの計算機だ。そんなプログラムが年金の不正をうみだした。
 物を考える能力、物を伝える能力こそ、私は学力なのではないかとおもう。そのためにも、広い意味でのあらゆる学力の基礎としての国語教育の見直しが必要だと思う。

 全国統一のテストの結果をめぐってさまざまな議論がされているが、肝心なのは学んだことが子どもたちが成長する過程で生きていくための力になることであって、成績を上げることではない。ましてや、社会の冷酷な選別の道具になるのであっては、ますます子供たちは荒廃していくのはみえている。

 学力テストの結果は、貧しさと学力の相関関係をしめしている。こんなことは昔からわかっていること。昔から偏差値の高い学校には、裕福な住宅地があった。大企業の幹部社宅のある校区の学校は昔から有名校進学率がよかった。

 こども不在の教育論議や、誰かの所為になすりつけ合うことをやめて、どんな環境にうまれた子どもであっても、必要最低限の常識を備えることができ、その上で良識にもとづいて社会に貢献できるようにそだてることを目標とした教育基本法の精神を学ぶべきだと私はおもう。

 この混乱の時代に、想像力豊かな子どもたちをたくさんうみだすことこそ、いくらお金をかけても無駄にならない、この国の一番の財産になるとおもう。

 

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