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さきほど「武士の一分」をテレビで見ました

 昨年公開された山田洋次監督の「武士の一分」という映画は、ロードショーを見たいなと思いながら見れなかったのですが、今晩やっとで見ることができました。

 原作者の藤沢周平さんも、最近気になりだした作家でしたので、ゆっくりと見させていただきました。いままでの山田監督の作品の中でも、私としては一番よくできていると思いました。

 歴史もの・時代小説と言えば、吉川英治さんや山岡昇平さんのように、時代の先頭に立ってはなばなしく歴史を切り開いていった英雄像を描いたものがおおく、時代小説と言えばそういうものだという先入観が私の中にありました。しかし、藤沢作品は、映画にしてもドラマにしても、小説にしても、私のその「時代もの」の考えにいま一つの居場所を提供してくれたような気がします。

 歴史について、英雄・偉人を中心に理解するのか、それとも、時代の底流を支える大多数の民衆のダイナミズムから歴史をひも解いていくのかは、戦前戦後を通じても歴史観の対立の一つだとおもいますが、藤沢作品は後者の立場から私たちを歴史の舞台に引きずり込んでくれる気がします。

 藤沢作品の登場人物のひとりひとりは、歴史の奔流にもてあそばれながら、偶然やすれ違いで不本意な生き方を余儀なくされ、その中で自分自身を必死で主張していこうとしていくどこにでもいそうな人々を描きます。性悪説的な歴史の否応なしの展開に対して、そこに生きる無名の人々の性善説的な一生を、生き生きと描きます。そして、そのなかの出会いと別れ、幸せが、ほとんど多くの人々の想い出とつながり、共感につながっていっているのかも知れないと思いました。

 自我(アイデンティティー)が大切で、人類の理解の範囲こそ真理と考えがちな西洋の考え方とはちがう、東洋の無常の世界観、人智が及ぶのはほんのわずかだとする考え方が根底にありながらも、人間というちっぽけな存在の限界のなかで、しっかりとヒューマニズムにあふれた人間像を次々と送りだしてくれているのが藤沢作品の良いところだと私は思います。

 登場人物も、「私が歴史を動かしている」と不遜にも勘違いしている英雄ではなく、貧しい商家の娘や息子であったり、下級武士など、いわゆる社会の底辺で時代にほんろうされながらまじめに生きようとする人々を生き生きと描いていることに、私はなぜか親近感を抱くのかもしれません。

 「武士の一分」に象徴される封建時代の心理的制約の中で、目一杯の夫婦の愛情を奥行き深く描いたのがこの映画だとおもいました。

 配役のキムタクも、いつものかれのイメージとはちがう、「役者」としての姿を見せてくれて素直に物語にひきつけられてみてしまいました。

 山田洋次さんがもっとこのような作品を作り続けてくれることを期待します。残念ながら世界的にこの日本的・東洋的な感覚が理解されるのはもっと先だとは思いますが、もし理解され始めたら日本映画の復活はかならずくると思います。

 まあ、ちょっとみた直後でほめすぎかもしれませんが、昔から「寅さん」「釣りバカ日誌」のファンの私の今日の感想でした。

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