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ナンバーワンよりオンリーワン ??

ナンバーワンよりオンリーワン


 今日の朝の通勤途上の車のラジオから、「ナンバーワンよりオンリーワン」という言葉が流れてきた。生来のへそ曲がりの私は、「あれっ?」と思ってしまった。

 受験戦争、生き残り、勝ち組、負け組み、競争などの言葉があふれかえる現代社会で、何が何でもトップに立つこと、人よりぬきんでていることがひとつのステータスとしてあるときに、自分にしかできない、他と比較することのできない何かをつかんで、社会に欠くことのできない自分を発見しようという言葉であることはわかっているのだが、この言葉のもっている論理構造に疑問が生じてしまった。

 ナンバーワンこそ究極のオンリーワンのはずだから、オンリーワンという集合があるとすれば、ナンバーワンはその中に包含されるはずだ。たとえば「私は植物より桜のほうがすきだ」といえばそのおかしさはわかりやすいと思う。このように日本語とは論理学ではかんがえられないような表現で人を惑わし、むしろそれをつかって一種の心理効果を狙うことがおおいようだ。

 比較する場合、あるいは議論を互いに深める場合には、意見の対立したところに、同一の基盤、同一性がなければ、議論は無意味になってしまう。たとえば国会の議論でよくやるのは、意図的にその同一性を無視して、ある議員が、領収証の矛盾を指摘すると、「現行法のもとに適正に処理している」という反論を返してくるというものだ。水道光熱費の使途についての議論を現行法に違反しているかいないかの議論に切り替えているのだ。
 これこそ、現在の政界の議論の象徴だろう。またある場合には、あなたの考えは間違っていると指摘すれば、「人生いろいろ」と反論するのもその典型だ。特定の考え方の是非を、いき方の是非に切り替えているのだ。
 このように相手が問うている問題の基盤を、意図的にずらして反論するのはいわゆる「日本的ディベート」でよく使われる手だ。かつては声の大きいほうが勝つともよくいわれた。
 このような切り返しは、ことばこそ丁寧かもしれないが、「ごちゃごちゃいうな、やかましい」というに等しいだろう。このようなことがまかり通っている政界は世界でも少ないかもしれない。

 「ナンバーワンよりオンリーワン」の意図しているものを正確にかこうとすれば、「ナンバーワンでなくてもオンリーワンでいい」だろう。「より」と比較するからおかしくなっている。

 戦前、画一的な国民像が推奨されているとき、ややもすれば人間の体のナトリウムポンプのように違ったものをすぐに排斥しようとする世相の中で、山口の詩人金子みすずは、「みんなちがってみんないい」という言葉をのこしてくれた。森羅万象すべてのものが、みんなそれぞれいろいろな役割をもって生き続けているということはすばらしいということだろう。

 そんな意味でこの言葉はとにもかくにも画一化する社会の中で私たちの心に響いてくるのだろう。そういえば「世界にひとつだけの花」という歌が大流行した。

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