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カネミ油症とわたし 政府発表に怒り

 1968年前後だろうか、私のうちの台所の流しの下に、黄色の透明なセロハンに包まれた食用油がいつもあった。米屋で販売されていた栄養価の高い天ぷら油だった。母がてんぷら料理をこのんでつくったので、私も野菜のてんぷらや魚のてんぷらをかなりの頻度で食べていたとおもう。そのころは私が大学受験で頭がいっぱいだった時だ。ところが、私の体に少しずつ異変が起きた。最初に気づいたのは、おしりの汗疹がなかなか治らずに、次第に湿疹が激しくなり、座ることもつらくなった。いくら薬を塗っても良くなることがなかった。そしてそれが背中まで広がって、シャツに血がつくようになった。つぎに、顔中に大量のニキビができ、ニキビがつぶれると白い脂肪や、ひどくなると膿がでてきた。そして、それが普通の皮膚病ではなさそうだ、どうもおかしいと気付き始めたのは、親指の指先が硬化し、爪が変形したうえ、手の甲に大きないぼができたときだ。そして、顔のニキビから脂肪が出ることが少なくなったのは、40歳を過ぎてからだ。その異変は20年間私を悩ませた。背中の浅黒い湿疹は今でもなおらず、いまでも疲れやすく、若い時から現在に至るまで高血圧ぎみだ。
 それがカネミ油症だと確信したのは、新聞でカネミ油症のことが発表されて、九州大学の医学部でカネミの油症問題を取り組んでいた当時研究生たちの知人の話を聞いてからだ。幾度か検査を勧められたが、その時は症状も安定期に入っていたので「いまさら」ということでその気にならなかった。むしろ自分の問題より、私は、九州のある農薬工場がベトナムの枯葉剤2-4-5Tを作り、その後もPCPという農薬を作り、地域の住民に深刻な健康被害を与えていた農薬公害問題の支援をはじめた。その裁判は最近結審し、原告敗訴であったが、告発された企業の一つである三井化学は、卑怯なことに、結審後いくらもたたないうちに、除草剤PCP(MO)のなかにダイオキシンが含まれていたことを発表した。偶然にもこの農薬工場の問題もダイオキシンだったというのは何かの因縁なのかもしれない。いまもその工場の跡地は、汚染土の問題だろうか、誰にも引き取られることなく廃墟となっている。

 数年前、ウクライナ大統領選へ出馬しようとしていたビクトル・ユーシェンコ氏の顔があばただらけになった映像が流れたが、私はすぐにそれがカネミ油症のときの私の顔の症状と同じだときづいた。そして、やはりダイオキシンによる中毒であった。

 カネミ油症の原因は明らかでないとよくマスコミで書かれているが、ステンレスのパイプに高温の油を循環させたらどうなるかは、金属の特性に詳しいひとならすぐわかるはずだ。身近なステンレスのガスレンジ台が、油で腐食しているのを見たことがある人も多いと思う。ステンレスはさびないという誤った考えが招いた人災であることはあきらかだ。いまでは非常識なPCBを熱交換剤として油脂の過熱に使用したうえ、そのパイプがステンレスであったことが悲劇をうんだのだ。
 最近の九大の研究では、油症の主な原因物質がダイオキシン類でもジベンゾフランだということが明らかにされ、いまでも通常の人の数倍のジベンぞフランが油症患者の体内に残っているという。

 油症の認定患者は、カネミ油を食べた人口に比べたら比較にならないほど少ない数だ。絶対に患者はそんな少ない数ではないはずだ。しかし、政府の救済は認定患者だけにしかおこなわれない。そして、その政府の一時金(手切れ金)の金額に驚いた。わずか20万円である。
 私はどうにか暮らせているから、いまさら補償金がほしいとは思わないが、この金額にはおどろいた。まるでばかにしている。
 私にとってもいろいろな見方はあるものの、一番大切な青春時代を、何十年間も嫌な思いに耐えてきて、いまも、ほかの人とはすこし違う健康状態を感じ続けている。それが、なぜこんなはした金で評価されるのか。しかも認定患者と言えばたぶんわたしより重篤な症状や社会的な差別に苦しんでこられた方々だと思う。とにかく怒りをおぼえた。

 私がそうであるように、いろいろな理由から認定要請に踏み切らなかった、あるいは認定されなかった多くの油症患者もたぶん同じ思いをしていると思う。

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